マンチェスター・シティ 選手の思い出 その5


■孫継海(スン・ジハイ) 中国代表 30 September 1977 2002-2008



ここ5年か10年ほど、ネット上で韓国や中国に好意的なことを言ったりすると、すぐに在日だ売国奴サヨクだとわめく人が大量に湧くようになってしまったので、なかなか肯定的な文脈で語られることはないけれども、2002年のW杯前後の中国サッカーは、あのボラ・ミルティノヴィッチを代表監督に読んだり、曲波(クー・ボーと読むらしい)のような、結局大成はしなかったのだけれど、スピードがあって当時は期待された若手が出てきたりして、日本や韓国との差は大きいものの、それなりに成長を遂げてきて、かつこれからも期待できようと言われている国だったと思う。(もちろん、日韓両国が予選を免除されていたということの影響もあるけれども)



プレミアリーグにも2人の中国人選手がいて、1人は李鉄(リー・ティエ)という若いボランチの選手で、デイヴィッド・モイーズが指揮を執り始めてから2年目か3年目のエヴァートンでレギュラーを張っていた。
記憶が定かでないが、当時のエヴァートンには、スウェーデン代表のトビアス・リンデロートとか、相手の骨が軋むようなタックルを繰り出す割に、ボール運びや長いパスもうまく、のちにはなんとなんとレアル・マドリーでもプレーしたトミー・グラヴェセンとか、そのグラヴェセンと遠目にはプレーも顔もほとんど見分けがつかず、ただボールを持てばグラヴェセンより気が利かないのでそれとわかるというアイルランド代表のリー・カーズリーとか、確かその辺りの実力者が揃っていて、その中で若いながらにレギュラーを確保していた李鉄は、アジア人らしい俊敏さと、英国で中盤中央に座るだけの強さ激しさをバランスよく持った、良いボランチだった。どういうわけか2シーズン目にはレギュラーから消え、ベンチからも消えてしまったが。




もう1人、マンチェスター・シティの右サイドにいたのが、孫継海(スン・ジハイ)という中堅のDFで、当時孫とショーン・ライト=フィリップス、通称SWPが組む右サイドは、ベルコヴィッチ、アリ・ベナルビアという技巧派2人を揃えた中盤と並んで、シティの最大の武器と言ってもよかったと思う。
スピードが特別あったり、とてつもなく正確なクロスを送ったりするわけではなかったが、守備に回れば寄せも速く、タックルも悪くない。攻撃では味方を良くフォローし、チャンスがあれば1人で持ち込むこともできた。
見たところ、日系企業の中国支店(たぶん深セン辺り)で現地採用されて、働きぶりが良いので若いながらに営業部長くらいまで昇進したサラリーマンみたいな顔をしているのだが、この頃のプレミアリーグサイドバックの例に洩れず、やや血の気が多く、一方でチームのために自分をすり減らすことに全く抵抗がない選手だった。
3−5−2の右ウィングバックに、4−4−2の右サイドバック、それから左サイドで起用されたこともあったかもしれない。晩年の2007-08シーズン、後半にけが人が続出した際には、アンカー、イギリスで言うところの“マケレレ・ロール”に駆り出されたこともある。どこで使われても、不満を言わず、全力を尽くして戦う男だった。




確か今は中国に帰ってコーチか監督になっているはずだったと思うが、日韓W杯のあと、中国代表のサッカーは一向に浮上する機会を見せず、個人としてもどこか海外で活躍するような選手は出てきていない。一時、鄭智(ジャン・ジ)がチャールトンでそれなりにやっていたようだが。
あのW杯の後、日本と韓国について、ヨーロッパでプレーする選手は飛躍的に増えたと思われるが、中国やイラン、サウジはむしろ90年代から00年代に比べて退潮してしまったようだ(アシュカン・デジャガは、あれはもうドイツ人をイラン国籍にぶっこ抜いただけだし)。孫継海、いつもその中間管理職面から、孫さんと呼びたくなるのだが、孫さんも苦々しく思っているのだろう。









と、いうようなことを、出張先の中国で考えていた。暇なので。