マイカ・リチャーズの行きて帰らざる物語(または私は如何にして心配するのを止めて小切手を愛するようになったか)
さて、毎年2回のどんちゃん騒ぎ、Deadline Dayである。シティからはマイカ・リチャーズと、エミール・ヒューズ、アルバロ・ネグレドがチームを去った。
ヒューズ以外はレンタルだが、ほぼ完全移籍が前提である。チェルシーもそうだが、シティも補強が必要な箇所が少なく、準備も早かったので、基本的に移籍市場での立ち回りは良くやったといえよう。
ところでリチャーズとヒューズである。2人とも、シティのアカデミー育ちの子であった。
ヒューズに至っては、シーズン開幕前にシーズンローンでウィガンに移籍したのだが、このタイミングで完全移籍化という意味不明な経緯。
この件については複雑な心境である。
まずもって、やっぱりアカデミー育ちの子が去るというのは寂しい。アカデミーで育った子がトップチームの主力になったら、なんだか善いことな感じがする。チームのフィロソフィーとか、なんかそういうのを共有している気がする。それに安い。20Mかけて買ってくるような選手と同等のレベルがアカデミーから収穫できれば、FFPにも引っ掛からなかろう。ああ、アカデミー育ち。それは甘美な響きである。
それに、去年のデニス・スアレス(バルセロナBへ)もそうだが、アカデミー育ちの筆頭格を試す間も無く売っぱらってしまうというのは、少し早くないかい?とも思う。”Holistic Approach”はどこに行ったよ。もしかしたら、トップチームでも十分にやれたかもしれない。もしかしたらね。
でも一方で、それって「善きこと気」なだけだよね、とも思っている。アカデミー出身の子が大半のチームというのは、基本的に弱い。
金が無いからそうしているだけのケースが大半であろう。(だからこそ、バルサや昔のまんゆがスゴいと言われるのだが)
思えばシティが金持ちに買われる前から、毎年同じことは起こっている。
イシュメイル・ミラー、スティーヴン・ジョーダン、ネダム・オヌオハ、スティーヴン・アイルランド。みんなプレミアでも長所が出せるだけの選手ではあった。
でもどうひいき目に見ても、ジョーダンはブリッジに勝てないし、オヌオハはコンパニに勝てないし、アイルランドはシルバに勝てなかったであろうことは、試合を見ればすぐわかる。
アイルランドが去った時は哀しかった。私はアイルランドが大好きだった。でも我々はアカデミーっ子ではなく、舶来のスターを選んだからこそ、チャンピオンズリーグで天下のバルセロナと戦ったりなんかしちゃったりできているのだし、それ故に私は「アカデミー育ち」ということ自体に、そんなに価値を見いだせない。やっぱり探して、吟味して、買ってきた方が強い。
懸念があるとしたら、「アカデミーの選手をすぐに売ってしまうと、今後スカウトする選手が入団してくれにくくなる」とか、「忠誠心を持った選手がいなくなる」とか、そういう感じのことであろう。後者は悪い冗談である。ウェイン・ルーニーはエヴァートン育ちだったぞ。アカデミー出身だろうが、世界の果てから買ってこようが、大半の選手は給料とチームのレベルで動く。前者については、ちと心配が無くもないが、前述の金銭的な心配に比べれば大したことは無い。
そういうわけで、私はリチャーズとヒューズ、ネグレドが去った寂しさをごまかしているのであった。
さらばだマイカ。君は私の憧れだった。
初めて君を見たアーセナル戦を、月間MVPを獲った夏の日を、およそサッカー選手には見えない筋肉を、
およそ人類が発したとは思えない「ビャー!!!!wwwwwww」という笑い声を、私は恐らく忘れまい。
もう怪我はすんなよ。代表戻れよ。愛してるぜ。